生命・地球学概論

対象:自然システム学類1年

担当形式:分担.1コマ分

キーワード:生物圏(Biosphere),極限環境(extreme environment),海嶺(ridge),海溝(trench),熱水(hydrothermal vent),メタン湧水(methane seep),共生(symbiosis),海洋資源(submarine mineral and energy resources),化学合成生態系(chemosynthesis-based ecosystem)

授業概要(ジェンキンズ担当回)

主として深海生物学や地球生物学,極限環境生物学についての講義.

この講義では我々が生息する生物圏の広がりと限界について考えます.生物圏はどこまで広がっているのでしょうか?その広がりの端が生物にとっての極限環境です.

極限環境の一つとして考えられている場所が深海の熱水域やメタン湧水域です.海底熱水活動は,海嶺域において,海洋プレート内に浸透した海水が海底下のマグマに熱せられ,周囲の岩石と反応して海底面より噴出する現象です.岩石との反応の結果,熱水中には硫化水素や各種金属元素が多量に含まれます.

熱水中に含まれる各種金属元素などは,海底より水中(深海底の温度は約2度-4度であることが一般的)に噴き出して急冷され,もしくは微生物反応によって,鉱物や非晶質物質として沈殿します.それは海底熱水鉱床とよばれ資源として注目されています.

熱水域は温度異常や通常の生物には毒である硫化水素や重金属が高濃度で存在する環境であるにもかかわらず,おびただしい数の生物がいることが普通です.熱水に含まれる還元物質をエネルギー源とした生態系(化学合成生態系)が成立しているのです.太陽光が届かない深海ならではの生態系と言えるでしょう.

そこには微生物のみならず,エビやカニなどの甲殻類,二枚貝や巻貝などの軟体動物類,ゴカイなどの環形動物物類など,種々の大型生物もいます.化学合成生態系に属する大型生物の多くは何らかの形で化学合成細菌(イオウ酸化細菌など)と共生関係を持っています.

インド洋や大西洋に生息するリミカリス(Rimicaris)は頭胸部内にある2対の平たい脚の表面や頭胸甲と呼ばれる甲羅の内側に微生物を共生させています.また,シロウリガイ類やキヌタレガイ類といった二枚貝は細胞内にイオウ酸化細菌を共生させています.この細胞内共生している細菌はシロウリガイ類やキヌタレガイ類では卵の中にも入っており,母系遺伝する.つまり,今後この細菌の共生化が進むと,現在の真核生物が持つミトコンドリアと同じような細胞内小器官になることが予想される.

共生細菌の宿主である大型生物は,共生細菌にとって最適な化学環境へ移動したり,捕食者から細菌を守るなどの働きをする.一方の共生細菌は熱水中に含まれる還元物質をエネルギー源として有機物の合成を行い,その有機物を宿主に渡しており,これら共生細菌と宿主には相利共生の関係が成り立っている.

海溝沿いに多く発見されるメタン湧水は,海底下に埋没した有機物(これらのほとんどは光合成由来である)が分解されて生成されたメタンが地層中の水(間隙水)にとけこみ,海底に噴出する現象である.メタンが海底付近に達すると,海水から海底下に浸透した硫酸による嫌気的メタン酸化反応が起き,硫化水素と炭酸イオンなどが生じる.その硫化水素を利用して熱水域にも成立する化学合成生態系がメタン湧水付近にも成立する.

メタン湧水付近は,岩石が露出する熱水域と異なり,柔らかい堆積物で覆われることがほとんどである.そのため,メタン湧水に成立する化学合成生態系は海底下にも生態系が広がっている.大型生物も堆積物に潜る生息スタイルを持つ種類が多く見られる.キヌタレガイ類はY字の巣穴をつくることが知られているが,このY字の巣穴も酸素を豊富に含む海水を取り入れる上部のU字の穴と,海底下からメタンや硫化水素を引っ張り上げる井戸の役割を持つ下部のI字部分が組み合わさった形として考えられる.

つまり,大型生物と微生物が共生関係を結び,化学反応を担う微生物とその化学反応の場を提供(もしくは場に移動)する大型生物との協力関係が極限環境では顕著に見られると言える.深海の熱水・メタン湧水という極限環境は酸化・還元の境界,生物圏と地圏の境界にあたるが,そのような場であるからこそ,共生関係が著しく発達するのかもしれない.

Q&A

感想・質問カードの一部抜粋と回答です.

Q.今回の講義で硫化物を用いた生物,生態系の話をより詳しく知ることができた.これは地球の話ですが,今後,地球外生命体の研究がさかんになったときに硫化物を用いた生物研究が役に立ちそうな気がしました.

A.まさにそうです.太陽光が届かない惑星(やその衛星)において主体となるのは化学合成生態系です.エウロパ(木星の衛星)やエンセラダス(土星の衛星)などにも熱水域があるようで,そこに化学合成生態系が成立している可能性があります.そういう意味でも地球上の化学合成生態系は注目されています.熱水噴出域は生命の材料であるアミノ酸などが無機的にも形成されうる場所ですし,様々な化学反応が促進される場所ですので生命の起源を研究する場所としても大注目です.

Q.深海生物を利用して未踏な深海領域の資源の開発でも利用できますか?

A.今後そういったことがなされていくのだと思います.現在,日本をはじめとした多くの国々が海底資源を開発(採掘)する流れですが,それによる深海生態系の破壊を憂慮しています.それよりは生物の機能に着目した資源創成を狙った方が良いと思っています.

Q.生物にとっての極限環境を再現できる場所は深海以外どこなのか?

A.宇宙空間や地中(地下深く),砂漠地帯などですね.今回の授業では圧力や温度といったファクターで極限環境を定義しましたが,生物の成育の制限要因は他にもたくさんあります.それぞれの項目の組み合わせでどこか生物圏の「端」なのかを捉えていく必要がありますね.

Q.話は面白かったですが,単語などは覚えるのが難しかったです.

A.そうですよね.本当は用語集などがあればよかったですね.指摘をどうもありがとう.

Q.講義の中で微生物と共生する生物が多く出てきましたが,宿主の体内(例えば脳)などに悪影響はないのでしょうか?

A.何をもって悪影響というかは難しいですが,我々が我々の細胞内にあるミトコンドリアや体表上に生息している常在菌のことを意に介さないように彼らも特に気にしていないでしょう.宿主の生殖活動開始時期までに宿主が死に至るような共生関係の場合,その関係は淘汰されていきます.世代を超えたそれなりに長い期間にわたって共生関係が続いている場合は,悪影響はあったとしても限定的なものだといえるでしょう.すべてを調べたわけではありませんが,化学合成生態系に見られている動物ー細菌の共生関係の多くは相利共生(宿主と共生者がともに利益を享受している共生関係)です.